私の履歴書を公開します②
私の次の就職先は、米国三越株式会社でした。
2008年9月、23歳だった私は、長年の夢だった「海外で働く」を実現するため、アメリカへ渡りました。
舞台は、フロリダ州にあるWalt Disney World。
最初はCRプログラム生として日本館のレストランで働き、その後、ダイニングアシスタントマネージャーとして、キャストの教育・育成や現場オペレーションの管理を担当しました。
気がつけば、私はアメリカで7年間働いていました。
私には、高校生の時から海外で働きたいという夢がありました。
ヒルトン東京ベイで働いていたある時、友人が米国三越が主催する「アメリカのWalt Disney Worldで1年間働くプログラム」に応募し、アメリカで働き始めたという話を聞きました。
「これだ!!!」と思った私は早速応募し、ありがたいことに合格をいただきました。
ヒルトン東京ベイの上司に、海外で働くという夢が叶ったことを伝え、「がんばれ!」と応援していただきながら2008年8月中旬にヒルトン東京ベイを退職しました。
ビザ取得手続きや渡米準備でバタバタしながら、2008年9月16日に渡米しました。
CRプログラム生としての仕事
米国三越CRプログラムとは、約1年間、米国フロリダ州にあるWalt Disney Worldの EPCOTにある日本館で「日本文化交流大使として世界中のゲストに日本文化をお伝えする」というプログラムでした。
私の具体的な仕事は、英語を使って日本の文化をお伝えしながら、日本館のレストランでお食事のサービスを行うことでした。

渡米後最初に配属されたのは、鉄板江戸《Teppan Edo》というレストランでした。
ゲストの目の前にあるグリルで、鉄板シェフがパフォーマンスしながら楽しく調理してくれるのが特徴のレストランです。
世界中から訪れるゲストに英語を使ってサービスをするのは、最初はとても大変でした。
日本で英語を勉強してきたつもりでも、実際に目の前のゲストと英語で会話をしながらサービスをするのは、まったく別の難しさがありました。
それでも、少しずつゲストとの会話ができるようになり、自分の英語でお客様を楽しませることができるようになると、仕事がどんどん楽しくなっていきました。
働き始めて半年ほど過ぎたころ、米国三越のGeneral Managerから呼び出されました。
「何か失敗でもしたのだろうか…」と不安を抱えながら話を聞くと、なんとダイニングアシスタントマネージャーとして1年のプログラムが終わった後も残って働かないか、という提案をされたのです。
じつは私はCRプログラム生をまとめるキャプテンという仕事を任されていました。その仕事を評価していただいての提案でした。
まさか自分がマネージャーになるなんて思ってもいませんでした。
「1年のプログラムが終わった後も残って働くことができるなんて…」
願ってもない提案に、私は二つ返事で承諾しました。
こうしてダイニングアシスタントマネージャーとしてのキャリアをスタートすることになりました。
ダイニングアシスタントマネージャーとしての仕事
ダイニングアシスタントマネージャーの仕事は、主に2つでした。
①年に2回日本から渡米してくるCRプログラム生を教育、育成すること
②現場でCRプログラム生を育成しながら、オペレーション管理やゲスト対応を行うこと

特に年に2回渡米してくるCRプログラム生の育成は本当に大変でした。
基本的には英語を勉強してきた人たちがやってくるのですが、日本で英語を勉強してきたからといって、簡単に英語で接客サービスができるわけではないことは、自分の経験からもわかっていました。
誰もが同じサービスが提供できるように、英語のサービススクリプトを作成し、新しく配属されたCRプログラム生たちに配布、トレーニングを繰り返します。
また、スクリプトを覚えること以上に大切なのが、日本のおもてなしを徹底することでした。
立ち姿や立ち振る舞い、お辞儀の仕方やコスチュームの着方まで、日本にいる日本人以上にきちんとしたマナーを意識して接客を行わなければいけないのです。
それはCRプログラムが、「日本文化交流大使として世界中のゲストに日本文化をお伝えする」という仕事だから。
日本のおもてなしが素晴らしいというのは、世界中から評価されていることだったので、日本を代表して日本から来ているCRプログラム生が日本のおもてなしを蔑ろにするわけにはいきません。
日々のトレーニングでお辞儀の角度、スピード、方向の指し示し、指先まで気を使ってサービスを行うなどかなり厳しく指導してきました。
そうした日々の積み重ねの甲斐あってか、2013年、鉄板江戸はWalt Disney World内にあるパークやホテルのレストランの中で、顧客満足度1位に輝きました。
なぜ辞めたのか
こうして米国三越でCRプログラム生として1年、ダイニングアシスタントマネージャーとして6年走り抜けてきました。
23歳で渡米してから30歳になっていました。
30歳になって次の10年のキャリアを考えた時、私は他のことも経験したいと思っていました。
ちょうどビザ更新の年でもあり、次のビザを更新するか、ここでの経験を次のキャリアにつなげるか悩みましたが、日本に帰国し次のキャリアに挑戦する決意をしました。
そこで何を学んだのか
米国三越での経験は、私の今後の人生に大きく影響を与えることになりました。
24歳で初めてマネジメントという仕事を経験して、辛いこともたくさんありましたが、とてもやりがいのある仕事でした。
私がこの仕事から学んだことは、「自分がしっかりとした軸を持っていないと周りはついてこない」ということでした。
マネージャーとしてCRプログラム生を育成する立場になってから、私は「自分自身ができていないことを、人に教えることはできない」と考えるようになりました。
だからこそ、私は自分自身がまずお手本になることを大切にしていました。
しっかりと身だしなみを整えて仕事に臨むこと
オンステージではどんなときでも笑顔でいること
日本の文化であるお辞儀は丁寧にきちんと行うこと
方向を指し示す時は指の先まで神経をつかうこと
この4つは、CRプログラム生が日本に帰ってからどんな仕事に就いたとしても、必ず役に立つと信じていました。だから、この4つだけは決してブレることなく教え続けたのです。
23歳でアメリカに渡り、気がつけば30歳。
7年間のアメリカ生活は、私にとってかけがえのない経験になりました。
そして私は、ここで学んだ「人を育てること」や「現場をつくること」を、次の場所でも活かしてみたいと思うようになりました。
こうして私は、7年間暮らしたアメリカを離れ、日本に帰国することを決めました。
さて、帰国した私を待っていたのは、どんな仕事だったのでしょうか。
次回は、私が日本に帰国してから何をすることになったのかについて書きたいと思います。


